平和と静観

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平和と静観

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Category : ひとりごと


小さな凹みと
別の側面で「ナイス!私」
な1日の今日。
天気もわるくて、調子もいまいちなか、
ぼんやり考えた。


争いも、暴力も、誰だってやだよねー
でも、平和ってなんだろう?
平和の祭典だから政治問題は別?
長年努力してきたアスリートがかわいそう?
妨害行為は良くない?
いっていることは正しいけど、
チベットの人は50年間、迫害、虐殺、拷問を受け続けていた。
一家で、拷問をうけてない人がいない家族はいないって話もあるし。
そういうチベット人に、アスリートの努力を考えてとかは
私にはいえない。
今回のオリンピックに使用されるギョクというものが
ウイグル産だということも知った。
ウイグルも実は、チベット同様、弾圧されている人たちだし。
日本では、非武装、無防備宣言とかいる都市が2?3出てきている。
ダライラマが平和と非暴力で、中国を受け入れた結果、この50年があるわけだけど、それは、相手に良識が通じる場合であって、戦後のソ連や、中国大陸の状態をしっていたら絶対ありえない。
どれだけ、平和ボケなんだと・・・・
実際、そういう人たちの、チベットへの見識をきいてみたい。本気で。
聖火リレーのあれは、良識派にいわせたらいただけないかもしれないけど、あれで、チベットの現状を始めて知ったって人がたくさんいる。
つまり、それだけの意味があったわけで、やっぱり、完全否定できない。
良くないって言っている人たちに、「では、どれだけチベットのこと知っていたの?」と聞きたい。
参加してる某SNSにて、運営者に対しての意見が活発化して、炎上気味ではあるけど、決して、非難ではない。
なのに、静観してる運営者ってなんだろう?
 「私に反戦運動の協力を依頼されても、お受けできません。
   平和運動なら協力いたします。」
と、マザーテレサの言葉を引用されても、我慢の限界を超えた人たちの、あえての問題提起の行動に対して、引用することは適切なのでしょうか?
なんかこういう引用をして、静観する運営者とか、
チベットのことは内政問題ですとかいっている、普段自衛隊反対、平和・人権をうったえている人たちとか
逃げられる立場の人はいいよねー
責任ある立場になったら、問題勃発しても、逃げられないもん。


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